というわけでしてね(何が)クリスマスはフロリダに行ってきたんですよ。日本だとクリスマスっていうとなんとなく男女のイベント的な意味合いが大きいですけど、アメリカだと感謝祭とクリスマスってのは日本のお正月だとかお盆みたいに家族が集まるシーズンです。なので当然交通事情は大変なことになってるわけですね。なのでホリデーシーズンに出かけるのは極力避けるようにしているのですが、なにせホストマザーが今年は「クリスマス遊びに来ない?」とかなり強力にプッシュしてきていたんで断り切れなくて…。
ホストマザーホストマザーってワタクシ日記で連呼しておりますけれど、要するに高校時代に一年間交換留学してたとき一年間お世話になったホストファミリーのお母さんってことです。まあいくら一年間同じ屋根の下で過ごしたからといって、留学生が全員ホストファミリーとここまで密な付き合いが続いているわけじゃないので、他人に説明するときにちょっと言葉に困ることがあります。アメリカ人に「ホストマザーです」って紹介しても意味分からない人のほうが多いので、最近では「ゴッドマザーです」と説明するようにしています。ゴッドマザーというのは、キリスト教の幼児期の洗礼の際に神様への保証人?として親代わりを申告?した人のことで、その子にとっては成人に達するまではもちろん基本的にはその子の生涯の精神的な支えになる事を神に誓ってくれる人で、親に万一のことがあっても精一杯カバーしてくれるという他人の事です(←ネットで見つけた適当な説明文)関係性で言えば単にホストマザーと説明するよりもゴッドマザーという言葉のほうがしっくり来るんですよね。
ホストファミリーのお父さんとお母さんは学生時代にデキちゃった結婚をしたもんで、ワタクシと同年代の子供が二人いるんですよ。なのでそれこそワタクシが留学してたときって、お母さんとお父さんは今のワタクシと同じくらいの年齢だったんですよね。全く恐ろしい話でございますよ。今自分がその年齢になってみて、外国から来た高校生を一年間受け入れられるかっていったらはっきり言って無理!アメリカ人はフトコロ広いっすね。元々は自分の娘が日本で一年間交換留学生をしていたので、その恩返しの意味で日本からの留学生を受け入れたらしいんですが、まあ家族会議を開いてお父さんと弟は大反対したんだけれどもお母さんと娘の猛プッシュでホストファミリーになると決まった、という裏話を後で弟から聞いたことがございます。実際ワタクシのホストファミリーはかなり質素というかつましい生活をしていたもんで、他の裕福なホストファミリーのお宅に滞在している留学生たちの華やかな暮らしぶりを横目で見て「なんでワタシだけこんな…」なんて思ったこともありました。寝室は当然ホストシスターと同室(これが一番辛かった)シャワーは毎日浴びてはいけない(水道代がかかるから)一年間の間外食をしたことは皆無、ショッピングはモールに二度だけ、ビーチの近くに住んでいたというのにビーチに連れて行ってもらえたのはたったの一回のみ。なにしろ両親が共働きだから、毎日生活するだけで精一杯って感じでした。同じ高校に来ていた他の留学生は裕福なファミリーにやれショッピングだ旅行だと連れて行ってもらったり、車の練習をさせてもらったり、華やかな暮らしをさせてもらっていた模様です(--;)まあ別に贅沢しに来たわけじゃないからそれはよかったんだけども。
正直ワタクシはその一年間がとにかく辛くて辛くて、やっと交換留学の一年間が終わったときは「もう二度と会うこともないだろう」などと腹の中で考えながら笑顔でさよならしたもんですが(超恩知らず)、距離が出来たことで却って良いお付き合いが出来るようになりました。全く世の中ってどんな風に転ぶか分からないもんです。まあ姉と弟とは殆ど付き合いはなくて、もっぱらお父さんとお母さんだけですけどね。ホストファミリーの姉も弟も結婚したんですけど、弟のほうはお嫁さんとの折り合いが悪くて殆ど付き合いがないようなんです。姉のほうとは親子関係は良好なんですけど、姉夫婦はご主人の留学で8年間ウィーンに住んでたんですよ。息子は嫁と折り合いが悪くて会えない、娘は外国住まい。なので、その間は当然ホストファーザーとホストマザーは自分の子供達になかなか会えなくて。丁度その時期にワタクシは結婚したので、まあ本物の親子じゃないけど、少しでも恩返しにと思って直前の準備とかホストマザーににお願いしたんです(日本人の実母はあまり頼りにならないので)ホストマザーは超お世話好きなので大層喜んで。それからぐっと距離が近づいた感じです。ちなみに弟夫婦は自宅で結婚したらしいんですけど、既にそのときに嫁・姑舅関係は険悪になっており、ホストファーザーもホストマザーも結婚したこと自体事後報告だったらしくて結婚式にも呼んでもらえなかったそうな。
でウチは既に義両親が亡くなっているので、出産のお手伝いをどうしようかってなったときにホストマザーが是非!と申し出てくれたのでお願いしたんですね。ホストファミリーの姉夫婦のほうにも孫が二人いるんですけど、両方とも男の子なので、ウチに生まれたのが女の子だったせいもあって、赤さん(仮名)の服とか凄い大張り切りで作ってくれて…。本物の孫じゃないのに本物の孫みたいに可愛がってくれてます。ホストマザーは女の子の孫を夢見ていて、本物の孫が生まれる前に既に幾つか女の子用の服を作ってたんですね(汗)でも自分の孫は二人とも男の子なので着られる筈もなく、そんな特別なお洋服を譲ってもらったりもして…。ちなみに弟と折り合いの悪い嫁夫婦のほうは子供は持たない主義らしくて孫は望めなさそうな模様。
ホストファーザーとホストマザーはつましいながらも家を二軒持っていて、一軒は若頃にミシガンに買った家、もう一軒はフロリダにコンドミニアムを持っていまして、夏は涼しいミシガンに、冬は暖かいフロリダに、と年に二回渡り鳥のように移動して暮らしています。ちなみにそうやって暮らしている引退老人はアメリカでは結構多いです。九州と北海道を行き来するような感じですかね。家といってもオカネモチではないので、小さな安い家です。二人とも小学校と幼稚園の先生をしていたんですが、50歳過ぎで早期引退をしてそれからは質素ながらも悠々と引退生活を送っています。本当は45歳で引退する予だったらしいのですが(教師はリタイア後の保障が結構いいらしい)、お母さんが乳癌になったりして医療費がかかったので、予定を変更して少し長く働き続けたらしいです。でも日本で普通のサラリーマンとかやってて40代とか50代で引退しようなんて思わないですよね。
このホストファミリーのお父さんとお母さんはちょっと経歴自体もユニークで、元々はミシガン出身なんですが、アラスカのエスキモー村でずっと教師をしてたんですね。なんでアラスカなのかっていうと、アラスカはとにかく寒さが厳しくて暮らしていくのが大変なので、教師不足に悩んでいる州なんです。なので他所から教師を誘致するために、教師のお給料が良いんですね。フロリダの倍近いらしいです。で、それこそ陸の孤島のような小さなエスキモー村で子供を育てながら学校で教えてコツコツとお金を貯めて早期引退予定だったそうです。ところが、ひたすら寒いアラスカに疲れたお父さんが、「そうだ!フロリダに引っ越そう!」といきなり思い立ち、フロリダに二年間だけ引っ越してきたんです。何故二年間だけで終わったかというと、フロリダの教育制度というのがかなり荒れ果てた状態で、暴れ放題の子供達&教育に無関心な親達のコンボにお父さんが耐えられなかったのですね。なのであったかいフロリダで楽しく暮らそうというお父さんの夢はたったの二年で潰え、アラスカに舞い戻ってきたわけです。家族全体がお父さんの夢に振り回されていた状態…。で、ワタクシが交換留学生をしていたのはこの二年目のときでしてね。ワタクシが滞在していた間にお父さんがストレスでおかしくなりかけたり、フロリダを引き上げる決断をして家を売りに出し(勿論住んでるまま売りに出すわけです)家が売れたので荷物を纏めて引越しトラックでフロリダからミシガンの家までお引越し…という非常に濃い経験をさせていただきましたよ(-。-;)
アラスカの小さなエスキモー村では店といえば乾物や缶詰が少々置いてある村の何でも屋が一軒のみ、違うものが欲しければ注文してヘリコプターで空輸してもらうのを待つのみ。娯楽といえば村のビデオ屋一軒のみ。そんな暮らしを長く続けてきたせいか、お母さんは大抵の服は自分で縫いますし、お父さんはいわゆる日曜大工を超越したハンディマン。とにかく何でも自分達でやっちゃう夫婦です。ミシガンの家も自分で改築に改築を重ね、ちっちゃな家だったのが倍の広さになりました。フロリダから引き上げてきた直後も、荷解きもそこそこにお父さんがまず手をつけたのは家の中の改築…。カーペットを取替え、ペンキを塗り替え、床にタイルを貼り、バスルームも完全改装と、全体的に薄暗かった家があっという間にピンク色にフロリダぽく大変身したのには大驚愕いたしましたね。フロリダを離れたくなかったお母さんへの罪滅ぼしだったようです。
まあとにかく今年は感謝祭もクリスマスも実の子供達は遊びにこないことになっていたらしく、我が家の赤さん(仮名)を連れて遊びに来ないかとずっと言われてましてね。悩んでたんですけど、ホストマザーがなんと赤さんのためにクリスマスドレスを縫って送ってくれたもんで「これはやっぱり行かないといかんね…(-。-;)」とギリギリになってからチケット取りました。さすがクリスマス、チケットかなり高かったですよアイタタタ☆

←ちなみにこれがそのクリスマスドレス。濃い紫色で超フリフリ。刺繍も一杯してあります。はっきり言って我が家の赤さん(仮名)のサッパリ醤油顔には全然似合わないんですが(^。^;)おか~さん我が家の赤さん(仮名)に夢見すぎちゃってて誰も暴走を止められません。ちなみに背景のソファに伸びてる毛むくじゃらの足は宿六の足(-。-)
だけどもね。
ワタクシの住んでるテネシ~も今年は割とまだ暖冬なんですけど、フロリダは更に暑かった!毎日25℃越えてました。
←ペリカンがいる時点で既に季節が違う感じ。でもアメリカ人って大体家の中ガンガンにエアコンかけてキンキンに冷やしてるじゃない?なので家の中は涼しかろうと普通にジーンズとかスーツケースに詰めて行ったんですけど、これが大失敗(-。-;)スッカリワタクシ忘れていたんですけど、お父さんは物凄くこだわりの強い人でしてね…。「ぼかぁ新鮮な空気が好きなんだ!エアコンの空気なんて体にイクナイ!(゚Д゚)」と頑なに主張され、一日中汗だくで過ごすハメになりました(-。-;)そうだったお父さんはそういう人だった…。客が汗だくなのは全く無問題な模様。赤さん(仮名)はもともと暑がりなので、髪の毛なんかいつもしっとり汗で濡れてる上にほっぺたも赤くてね。ワタクシはタイル貼りの床に溶けたナメクジみたいにへばりついて涼んでましたよ(--;)
←お父さんとお母さんのコンドミニアム。海から近いところはハリケーンの心配があるので、どこの家もとても背が低いです。勿論窓は開けるんだけど、フロリダはとにかく暑い州なので、テネシ~の家に比べると窓が小さいんですよね。多分窓面積が大きいと家が暑くなりすぎて電気代がかかりすぎるからなんだろうけど…。さすがに夜はエアコンつけてくれましたけどね…。その上海から近いせいか、水があまりよくなかったらしくて赤さんずっと下痢ぴ~(--;)幸い下痢以外には全く何の症状もなかったので良かったですけどね。ちなみに宿六も下痢ぴ~だったらしいのでやっぱり水が問題だったような気がします。食べるものは同じチェーンのスーパーからいつも買ってる食材を買っていたので…。水からなんか硫黄みたいな臭いがするんですよね。ブリタっていう汲み置き式のろ過ポットの水を飲んでたんですけど、完全に全部のものが取り除けるわけじゃないですし。その上お父さんは結構偏屈な人で、買い物も外食も好きじゃなくて、散歩だとかサイクリングだとかとにかく体を動かしてるのが好きって人だもんで、5日間の滞在中殆ど家にいる以外はひたすら散歩って感じの毎日を過ごしてました。そうだったワタクシの留学生時代ってひたすらこんなんだった…頑固なお父さんには誰にも逆らえないんだった…懐かしい思い出がさまざまな想いと共に蘇ってきましたヨ(笑)
←好き勝手にビーチを楽しむ一行(統一性ゼロ)ちなみにビーチにも歩いて30分くらいで行けます。赤さん(仮名)嬉し恥ずかし初ビーチ。大胆なビキニで浜辺の視線を集めるよ(え)左端が宿六、その隣がお父さん、その右がお母さん、それから赤さん(仮名)お父さんもお母さんも写真で見るとおり、アメリカ人には珍しく痩せた夫婦です。60歳そこそこなんですけど、毎週数回ジムに通ってエアロビクスしたりバスケやったりしているアクティブな夫婦。とにかく他にすることがないもんで毎日ビーチに来てました(笑)なんか素敵なお店とかレストランとか一杯あったみたいなんだけどあれは全て幻だったに違いないですね。何もかも素通りされてしまいますた。まあしょうがないねお父さんだから(諦)一言でも「あのレストランに行ってみたいなあ」だのと口を滑らせようものなら、「なんでわざわざお金を出して不味いご飯を食べなきゃならないんだ~ああいうのはぼったくりな上に他所の客が気になるし、ちっとも食べた気がしないんだぁ~」などと一日中、いや下手すると一週間はウダウダ言われるのがオチ。まあ確かにお父さんとお母さんの作ったご飯は美味しかったですけどね…お父さんが糖尿になったので炭水化物排除の食事をしてるんですが、やはり食に対する意識が変わったせいか、昔に比べるとびっくりするほど料理が上達してました。
空気は暑くともさすがは12月というか水は結構冷たかったですが、サーフィンしてる人もちらほら見かけました。でもクリスマスなのにわざわざビーチまで出てくる人達は稀らしく、あまり人がいなくて静かで良かったです。こちらではクリスマスというのはイブよりもクリスマス当日に祝う家庭が多く、クリスマスディナーは25日に頂きました。さすがにクリスマスディナーくらいはエアコンの効いた部屋で食べたかったもんで、お父さんに捨て身でお願いしましたよ。
「おと~さん、一生のお願いです!今日は赤さんにもクリスマスドレスを着せたいし、ゆっくりディナーを楽しみたいからエアコンつけてくださいお願いしますぷりーずぷりーずぷりーず!このままじゃ暑くって溶けちゃう!(;△;)」
散々拝み倒してやっとエアコンつけてもらえたという。イヤもうホント勘弁してください(--;)あまりのお父さんの奇人・変人ぶりに宿六もビックリ仰天さ。
そんでもって帰りの飛行機は赤さんがエライ勢いでギャン泣きして、突き刺さる周囲の視線が痛かったです(--;)もう誰がなんと言おうと飛行機での旅行はしばらくいたしません…。たったの二時間のフライトだというのにグッタリ疲労困憊でした。乳幼児連れて一人で日本に里帰りしてる日本人妻って一体どうやってるんざましょね謎ざます。
そんなこんなでいろんな意味で思い出に残るクリスマスになったわけですが、まあホリデ~なんてこんなもんでございましょう。とりあえずお母さんは赤さん(仮名)と過ごすことが出来たのでそれでヨシとします。この旅行自体お母さんのために企画したようなものでしたからねえ(お父さんは言葉の通じない幼児にはあまり興味ナシ)帰宅して我が家のよさを再認識。今朝も犬と赤さんと散歩しながらしみじみと「テネシ~は良いとこだ…」などと一人で呟いておりました。やっぱり自宅っていいもんですね。ワタクシはもともと旅行が好きなほうではないのですが、今回は痛いほどに実感いたしましたよ。もともと引きこもりなんですが更に悪化しそうです(笑)
拍手ぱちぱちありがとうございます♪レス不要の方も感謝感謝です(^。^)
ホストマザーホストマザーってワタクシ日記で連呼しておりますけれど、要するに高校時代に一年間交換留学してたとき一年間お世話になったホストファミリーのお母さんってことです。まあいくら一年間同じ屋根の下で過ごしたからといって、留学生が全員ホストファミリーとここまで密な付き合いが続いているわけじゃないので、他人に説明するときにちょっと言葉に困ることがあります。アメリカ人に「ホストマザーです」って紹介しても意味分からない人のほうが多いので、最近では「ゴッドマザーです」と説明するようにしています。ゴッドマザーというのは、キリスト教の幼児期の洗礼の際に神様への保証人?として親代わりを申告?した人のことで、その子にとっては成人に達するまではもちろん基本的にはその子の生涯の精神的な支えになる事を神に誓ってくれる人で、親に万一のことがあっても精一杯カバーしてくれるという他人の事です(←ネットで見つけた適当な説明文)関係性で言えば単にホストマザーと説明するよりもゴッドマザーという言葉のほうがしっくり来るんですよね。
ホストファミリーのお父さんとお母さんは学生時代にデキちゃった結婚をしたもんで、ワタクシと同年代の子供が二人いるんですよ。なのでそれこそワタクシが留学してたときって、お母さんとお父さんは今のワタクシと同じくらいの年齢だったんですよね。全く恐ろしい話でございますよ。今自分がその年齢になってみて、外国から来た高校生を一年間受け入れられるかっていったらはっきり言って無理!アメリカ人はフトコロ広いっすね。元々は自分の娘が日本で一年間交換留学生をしていたので、その恩返しの意味で日本からの留学生を受け入れたらしいんですが、まあ家族会議を開いてお父さんと弟は大反対したんだけれどもお母さんと娘の猛プッシュでホストファミリーになると決まった、という裏話を後で弟から聞いたことがございます。実際ワタクシのホストファミリーはかなり質素というかつましい生活をしていたもんで、他の裕福なホストファミリーのお宅に滞在している留学生たちの華やかな暮らしぶりを横目で見て「なんでワタシだけこんな…」なんて思ったこともありました。寝室は当然ホストシスターと同室(これが一番辛かった)シャワーは毎日浴びてはいけない(水道代がかかるから)一年間の間外食をしたことは皆無、ショッピングはモールに二度だけ、ビーチの近くに住んでいたというのにビーチに連れて行ってもらえたのはたったの一回のみ。なにしろ両親が共働きだから、毎日生活するだけで精一杯って感じでした。同じ高校に来ていた他の留学生は裕福なファミリーにやれショッピングだ旅行だと連れて行ってもらったり、車の練習をさせてもらったり、華やかな暮らしをさせてもらっていた模様です(--;)まあ別に贅沢しに来たわけじゃないからそれはよかったんだけども。
正直ワタクシはその一年間がとにかく辛くて辛くて、やっと交換留学の一年間が終わったときは「もう二度と会うこともないだろう」などと腹の中で考えながら笑顔でさよならしたもんですが(超恩知らず)、距離が出来たことで却って良いお付き合いが出来るようになりました。全く世の中ってどんな風に転ぶか分からないもんです。まあ姉と弟とは殆ど付き合いはなくて、もっぱらお父さんとお母さんだけですけどね。ホストファミリーの姉も弟も結婚したんですけど、弟のほうはお嫁さんとの折り合いが悪くて殆ど付き合いがないようなんです。姉のほうとは親子関係は良好なんですけど、姉夫婦はご主人の留学で8年間ウィーンに住んでたんですよ。息子は嫁と折り合いが悪くて会えない、娘は外国住まい。なので、その間は当然ホストファーザーとホストマザーは自分の子供達になかなか会えなくて。丁度その時期にワタクシは結婚したので、まあ本物の親子じゃないけど、少しでも恩返しにと思って直前の準備とかホストマザーににお願いしたんです(日本人の実母はあまり頼りにならないので)ホストマザーは超お世話好きなので大層喜んで。それからぐっと距離が近づいた感じです。ちなみに弟夫婦は自宅で結婚したらしいんですけど、既にそのときに嫁・姑舅関係は険悪になっており、ホストファーザーもホストマザーも結婚したこと自体事後報告だったらしくて結婚式にも呼んでもらえなかったそうな。
でウチは既に義両親が亡くなっているので、出産のお手伝いをどうしようかってなったときにホストマザーが是非!と申し出てくれたのでお願いしたんですね。ホストファミリーの姉夫婦のほうにも孫が二人いるんですけど、両方とも男の子なので、ウチに生まれたのが女の子だったせいもあって、赤さん(仮名)の服とか凄い大張り切りで作ってくれて…。本物の孫じゃないのに本物の孫みたいに可愛がってくれてます。ホストマザーは女の子の孫を夢見ていて、本物の孫が生まれる前に既に幾つか女の子用の服を作ってたんですね(汗)でも自分の孫は二人とも男の子なので着られる筈もなく、そんな特別なお洋服を譲ってもらったりもして…。ちなみに弟と折り合いの悪い嫁夫婦のほうは子供は持たない主義らしくて孫は望めなさそうな模様。
ホストファーザーとホストマザーはつましいながらも家を二軒持っていて、一軒は若頃にミシガンに買った家、もう一軒はフロリダにコンドミニアムを持っていまして、夏は涼しいミシガンに、冬は暖かいフロリダに、と年に二回渡り鳥のように移動して暮らしています。ちなみにそうやって暮らしている引退老人はアメリカでは結構多いです。九州と北海道を行き来するような感じですかね。家といってもオカネモチではないので、小さな安い家です。二人とも小学校と幼稚園の先生をしていたんですが、50歳過ぎで早期引退をしてそれからは質素ながらも悠々と引退生活を送っています。本当は45歳で引退する予だったらしいのですが(教師はリタイア後の保障が結構いいらしい)、お母さんが乳癌になったりして医療費がかかったので、予定を変更して少し長く働き続けたらしいです。でも日本で普通のサラリーマンとかやってて40代とか50代で引退しようなんて思わないですよね。
このホストファミリーのお父さんとお母さんはちょっと経歴自体もユニークで、元々はミシガン出身なんですが、アラスカのエスキモー村でずっと教師をしてたんですね。なんでアラスカなのかっていうと、アラスカはとにかく寒さが厳しくて暮らしていくのが大変なので、教師不足に悩んでいる州なんです。なので他所から教師を誘致するために、教師のお給料が良いんですね。フロリダの倍近いらしいです。で、それこそ陸の孤島のような小さなエスキモー村で子供を育てながら学校で教えてコツコツとお金を貯めて早期引退予定だったそうです。ところが、ひたすら寒いアラスカに疲れたお父さんが、「そうだ!フロリダに引っ越そう!」といきなり思い立ち、フロリダに二年間だけ引っ越してきたんです。何故二年間だけで終わったかというと、フロリダの教育制度というのがかなり荒れ果てた状態で、暴れ放題の子供達&教育に無関心な親達のコンボにお父さんが耐えられなかったのですね。なのであったかいフロリダで楽しく暮らそうというお父さんの夢はたったの二年で潰え、アラスカに舞い戻ってきたわけです。家族全体がお父さんの夢に振り回されていた状態…。で、ワタクシが交換留学生をしていたのはこの二年目のときでしてね。ワタクシが滞在していた間にお父さんがストレスでおかしくなりかけたり、フロリダを引き上げる決断をして家を売りに出し(勿論住んでるまま売りに出すわけです)家が売れたので荷物を纏めて引越しトラックでフロリダからミシガンの家までお引越し…という非常に濃い経験をさせていただきましたよ(-。-;)
アラスカの小さなエスキモー村では店といえば乾物や缶詰が少々置いてある村の何でも屋が一軒のみ、違うものが欲しければ注文してヘリコプターで空輸してもらうのを待つのみ。娯楽といえば村のビデオ屋一軒のみ。そんな暮らしを長く続けてきたせいか、お母さんは大抵の服は自分で縫いますし、お父さんはいわゆる日曜大工を超越したハンディマン。とにかく何でも自分達でやっちゃう夫婦です。ミシガンの家も自分で改築に改築を重ね、ちっちゃな家だったのが倍の広さになりました。フロリダから引き上げてきた直後も、荷解きもそこそこにお父さんがまず手をつけたのは家の中の改築…。カーペットを取替え、ペンキを塗り替え、床にタイルを貼り、バスルームも完全改装と、全体的に薄暗かった家があっという間にピンク色にフロリダぽく大変身したのには大驚愕いたしましたね。フロリダを離れたくなかったお母さんへの罪滅ぼしだったようです。
まあとにかく今年は感謝祭もクリスマスも実の子供達は遊びにこないことになっていたらしく、我が家の赤さん(仮名)を連れて遊びに来ないかとずっと言われてましてね。悩んでたんですけど、ホストマザーがなんと赤さんのためにクリスマスドレスを縫って送ってくれたもんで「これはやっぱり行かないといかんね…(-。-;)」とギリギリになってからチケット取りました。さすがクリスマス、チケットかなり高かったですよアイタタタ☆

←ちなみにこれがそのクリスマスドレス。濃い紫色で超フリフリ。刺繍も一杯してあります。はっきり言って我が家の赤さん(仮名)のサッパリ醤油顔には全然似合わないんですが(^。^;)おか~さん我が家の赤さん(仮名)に夢見すぎちゃってて誰も暴走を止められません。ちなみに背景のソファに伸びてる毛むくじゃらの足は宿六の足(-。-)
だけどもね。
ワタクシの住んでるテネシ~も今年は割とまだ暖冬なんですけど、フロリダは更に暑かった!毎日25℃越えてました。




「おと~さん、一生のお願いです!今日は赤さんにもクリスマスドレスを着せたいし、ゆっくりディナーを楽しみたいからエアコンつけてくださいお願いしますぷりーずぷりーずぷりーず!このままじゃ暑くって溶けちゃう!(;△;)」
散々拝み倒してやっとエアコンつけてもらえたという。イヤもうホント勘弁してください(--;)あまりのお父さんの奇人・変人ぶりに宿六もビックリ仰天さ。
そんでもって帰りの飛行機は赤さんがエライ勢いでギャン泣きして、突き刺さる周囲の視線が痛かったです(--;)もう誰がなんと言おうと飛行機での旅行はしばらくいたしません…。たったの二時間のフライトだというのにグッタリ疲労困憊でした。乳幼児連れて一人で日本に里帰りしてる日本人妻って一体どうやってるんざましょね謎ざます。
そんなこんなでいろんな意味で思い出に残るクリスマスになったわけですが、まあホリデ~なんてこんなもんでございましょう。とりあえずお母さんは赤さん(仮名)と過ごすことが出来たのでそれでヨシとします。この旅行自体お母さんのために企画したようなものでしたからねえ(お父さんは言葉の通じない幼児にはあまり興味ナシ)帰宅して我が家のよさを再認識。今朝も犬と赤さんと散歩しながらしみじみと「テネシ~は良いとこだ…」などと一人で呟いておりました。やっぱり自宅っていいもんですね。ワタクシはもともと旅行が好きなほうではないのですが、今回は痛いほどに実感いたしましたよ。もともと引きこもりなんですが更に悪化しそうです(笑)
拍手ぱちぱちありがとうございます♪レス不要の方も感謝感謝です(^。^)
| HOME |